阿蘇の森・乗馬でトレッキング

平成25年1月18日(金)。この2,3日の冷え込みで、 寒さは厳しく、路面に薄く雪が残る中、先導するコーチに従い、一時間余り森に入りトレッキングをした。
アスファルトの路面ではパッカパッカと蹄(ひづめ)の音を立てながら軽やかに、車の屋根を下に見る程の高さは非日常的で、実に快適。

道端の草ははるか下に見え、木々の枝が時には顔の高さにあり、慌てて手で除けたり、その下をくぐるなどしてやり過ごす。

やがて針葉樹の林を抜け、桜の木が群生する草原を又抜け、或いは泥濘(ぬかるみ)を、狭い坂道をそして下り道を。歩くしか出来ないような獣(けもの)道を馬に任せて歩いた。急な坂を上る時は少し前のめりに、逆に下りの道では体を後ろに反らしてと適切なアドバイスありでどうにか無難に通過した。

駆け足ができる道に出ると、コーチの合図で馬を走らせた。人馬とも激しく動く、風が飛ぶ、風を切る、鼓動がなる、目が点になる。
車やバイク等にない動物の息遣い、動きが醸し出す生物的な躍動感、スピード感が鐙(あぶみ)、握る手綱(たづな)そして尻にぶつかる鞍(くら)との衝撃等で伝わり、乗馬の楽しさが強烈に五感に響く。
快感あり、開放感あり。前を駆けるコーチと馬の姿は実に西部劇の一シーンの如く、絵になる風景がそこにあった。
私は長崎県壱岐市の離島に生を得た。
島には、馬は居ない。
今でも思い出すのは、昭和24、5年頃7、8歳の頃、博多から壱岐経由で対馬に農耕用に運ばれていく馬が一頭、何故か途中停泊で、港の倉庫に繋がれていた。
その港近くに我が家はあった。
夕方からいつまでも何時までも飽きずに馬の優美さに見とれていて母に酷く怒られた。
それが今、思い起こすと私の馬との最初の出会い。
成長してからは競馬場に通う機会もなく、時折馬の写真や人形を買い求めたりして過ごしていた。(今我が部屋には馬人形100余等あり)

 

そんな中に衝撃的な出会いは熊本日日新聞での記事「大自然の中大好きな馬と」だった。
平成23年5月9日のこと。すぐに電話して、門を叩いて教えを乞うた。
丁度「戦争と軍馬」の研究論文を脱稿したばかり頃だった。
今でも非常勤手当を全部つぎ込んで、月に二度ほどのペースで牧場に足を運んでいる。
駆ける時、顔で感じる風切り音と大地を離れて浮くような感覚に病み付き状態になっている。
そして新春、ビックな夢がコーチから有り難くも、届いた。
4月下旬には阿蘇永草の馬牧場から 遥か彼方の大観望まで約6時間かけて、トレッキングする心躍る計画がそうだ。
コーチを入れて4人の仲間。ウェスタンネームでボスは「ダン」、私は「ジミー・ブラウン」略して「ジミー」(地味ーとか爺(じじい)とかの掛詞(かけことば)ではない。
念のために)紅一点は「スカーレット」。
それまで足腰を鍛え、馬術も少しは上達ができるよう頑張りたいものだ。

中古だがブーツも入手。ハットは奮発して新調のアメリカン・バッファローのレザーである。
後は運動で肥満した体を減量することだが、実はこれが一番厄介な課題でもある。

もう一つ土曜、日曜 時間があり天気良ければ、弁当持参で翔陽高校、菊池農業高校の馬術部の練習を見学に行きたい。
馬の嘶(いなな)き、人馬一体で走る姿、眺めるだけでも楽しい。
実に可愛い動物である。
そういえばオリンピックに参加できるのは動物は人間の他は馬だけだ。
これからも健康で馬との触れ合いを、生活の中に織り込むそんな生き方を少しでも長く続けたい。

2013.1.19(Saturday)

西日本教育医療専門学校
坂口 寛治

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